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全国唯一産婆・乳母の祖神さま

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氏子地域・兼務神社

高忍日賣神社の氏子地域は、伊予郡松前町徳丸・中川原・大間です。
兼務神社の伊予市上吾川・下吾川・湊町、松前町北黒田・南黒田も担当しています。
各種祈願・出張祭典等は高忍日賣神社にお問合せください。

伊豫岡八幡神社(いよおかはちまんじんじゃ)

○ご祭神 誉田別尊・足仲彦尊・気長足姫尊
○例祭日 10月第二土・日曜日
○末社  多賀神社(伊邪那岐命)・金刀比羅神社(大物主神)・ 鹿島神社(武甕槌命)・和霊神社(山家公頼)・戎神社(事代主神)・五穀神社(稲倉魂神)・高良神社(高良明神)・松尾神社(松尾明神)・加佐茂理神社(大直日神)・上之川神社(大山積神外一座)・八ツ森神社(伊豫主命)など
○ご由緒
古来、伊予総鎮守として崇敬されている。現在は、上・下吾川、湊町の総氏神である。
この伊豫岡は、御留山とも称して、上古より伊予国の中心であるこの地域を開拓した始祖を祭祀した神聖な丘であった。『日本三代実録』にみえる「伊豫村神」であるともいわれる。清和天皇の貞観元年(859)、宇佐八幡宮の神を山城国(京都)に迎える途中、伊豫岡の辺りが明るくなったのが沖から見えた。これは神のお告げがあるとして、畏みて宮殿を建立して奉斎したという。
 武家からの篤い崇敬を受け、神領や武具が多く奉納されたが、戦国乱世の火災によりすべて焼失した。現在でも当社南方に御手洗・御子田などという地名があるのは、かつて神田であったことを物語っている。
 江戸時代には大洲藩祈願所として篤く崇敬され、藩主の参勤交代の折に参拝があり、藩主直筆の絵や武具が奉納された。特に雨乞い祈願は毎年、年中行事として行われ、「郡の雨乞い」と称し神職が奉仕した。嘉永2年(1849)建立の楼門、元禄7年(1694)の拝殿、元文2(1737)年建立の本殿が現存している。境内には大小の古墳が多く、県指定文化財になっている。そのうちの最大のものを「月陵(つきのみささぎ)」といい、古代に当地方を治めた首長の墳墓であるとされている。神紋は大洲藩主加藤家の「蛇の目」を主に用いている。
また、当社に隣接する八幡池の西側に宇食井戸という井戸があったが現存しない。この井戸は深さ3メートルほどの古井戸で、清水が自噴しどんな干天続きにも枯れたことがなかったという。この泉から流れる清流を御手洗川といって昔はかきつばたが群生し伊予名所の一つとして、「御手洗川のかきつばた」と歌にまでうたわれたが、今はその姿を見ることができない。
 境内の上之川神社は、明治42(1909)年に上吾川の各地に鎮座していた十合八幡神社・三島神社・神之木神社・若宮神社・楠神社・山王神社・松本神社・須佐之男神社・武之宮神社・天神社・鎌倉神社・一木神社などを合祀したものである。
 当社の神域には樹齢数百年の老樹が茂り、その中に多くの古墳群があるので自然林は天然記念物として、古墳群は史蹟としてともに県の文化財の指定を受けている。
○鎮座地 伊予市上吾川495番地

貴布禰神社(きふねじんじゃ)

○ご祭神 大山積神(おほやまつみのかみ)・別雷神(わけいかづちのかみ)・罔象女命(みずはのめのみこと)・高?神(たかおかみのかみ)
○例祭日 10月14・15日
○末社  塞之神社(八衢天神)・恵比須神社(大国主神外一座)・和霊神社(和霊大神)・真名井神社(多紀理毘売命外七座)・一宮神社(上筒男之神外二座)・金刀比羅神社(大物主神外一座)など
○由緒
創祀年代は不詳であるが、鎮座地は太古水神が木の船で到着し宮居をされた場所とされ、近郷の聖地として信仰されていた。
和銅5年(712)8月に大三島の大山祇神社より神霊を勧請して合わせ祀った。また、神亀5年(728)9月には国司越智玉純が聖武天皇の勅を奉じて、山城国愛宕郡の貴船神社より勧請して現在の社名となった。
加藤嘉明が松前に入城して後は、松前の総鎮守として崇敬された。神紋は「傍折敷角切縮三文字」。
○鎮座地 伊予郡松前町北黒田264番地

宇佐神社(うさじんじゃ)


○ご祭神 誉田別命・足仲彦命・息長媛命
○例祭日 10月第二土・日曜日
○末社  天神社(菅原道真公)・吾川神社(吾川ノ神)
○由緒 古代から伊豫岡八幡神社の境外別宮として鎮座する。特に江戸時代は、伊豫岡八幡神社が大洲藩祈願所であったことから、下吾川全域の鎮守として崇敬され、今日に至っている。
○鎮座地 伊予市下吾川666番地

天神社(てんじんじゃ)


○ご祭神 菅原道真公(すがはらのみちざねこう)
○例祭日 10月14・15日
○末社  淡嶋神社・八重垣神社・稲荷神社など
○由緒
菅原道真公が讃岐国司の折に立ち寄られた場所に、天慶5年9月国司河野伊予守安家が筑紫大宰府より勧請した。「朝日森天神社」とも称される。神紋は「梅鉢」。
○鎮座地 伊予郡松前町南黒田267番地1


湊神社(みなとじんじゃ)


○ご祭神 事代主命(ことしろぬしのみこと)・菅原道真公(すがはらのみちざねこう)・上筒男命(うわつつのおのみこと)
     底筒男命(そこつつのおのみこと)・息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)・豊玉姫命(とよたまひめのみこと)
○例祭日 10月第二土・日曜日
○末社  奈良原神社・綿津見神社
○由緒
神功皇后(息長足姫命)が三韓征伐のため航路を進軍中に、同地に霊験を感じ、海上安全と戦勝祈願とを祈念して、天神(あまつかみ)と海神とを祭祀したのが起源とされている。一説には、事代主命が鯨の背に乗ってたどり着いた場所とされる。
江戸時代に入り、大洲藩となり開拓されて小川町(湊町の旧名)が形成され、その鎮守として崇敬される。享保14年(1729)8月24日に勧請し天神社と称した。
宝暦4年(1754)4月には、上筒男命・底筒男命・息長足姫命・豊玉姫命を勧請して戎神社と称した。
その後、明治44年(1911)5月28日に両神社を合祀して湊神社と改称した。神紋は「蔓柏」。
○鎮座地 伊予市湊町246番地

廣田神社(ひろたじんじゃ)


○ご祭神 天照大神荒魂(あまてらすおほかみあらみたま)
○例祭日 5月3日春季例祭、10月第2土曜日秋季例祭
○末社  冨田神社・尊霊神社・青木神社・高守神社・青麻三光神社・岩崎神社・生目八幡神社・八重神社・庚申社
○由緒
上古、国造神籬を此地に樹て、廣田大神(摂津国武庫郡、現在の兵庫県西宮市)を勧請した。推古天皇4年(596)、厩戸皇子勅を奉じて当国に行啓された折、国司小千宿禰益庫躬に令旨を下し神殿を造営させた。
 当社の周辺には、上三谷古墳群と呼ばれる多くの古墳が存在しており、特に昭和44年果樹園造成中に三角縁神獣鏡の破片2面分が出土し嶺昌寺古墳と呼ばれているものは、西暦300年代中頃のものと推定されており、道後平野最古の古墳とされている。
○鎮座地 伊予市上三谷3166番地

三谷神社(みたにじんじゃ)


○ご祭神 天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
○例祭日 4月10日金刀比羅祭、5月3日春季例祭、10月第2土曜日秋季例祭
○末社  三柱神社・相生神社・出雲神社・塩竃神社・奈良原神社・若皇神社(境外社)
○由緒
明治43年に村社中御前五社大明神社と村社若皇神社を無格社金刀比羅神社に合祀して、村社三谷神社と称した。
○鎮座地 伊予市上三谷3525番地

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高忍日賣神社

〒791-3163
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